炭を背負い問屋まで一日40キロ~50キロを歩くのですから大変な
重労働です。
そして運んでいたのはだいたい女性だったというのですから。
夫婦だと男が炭を焼き女がその炭を運ぶことが多かったようです。
しかし2俵(60キロ)を背負い歩いたのだからたいしたものです。
戦前は地下足袋があったそうですが、 戦中~昭和27年頃までは
わらじを履いていたそうです。しかし長い距離を歩くので2日で駄目
になったそうです。
さらにすごいのは冬でもほぼ毎日炭を運んでいたそうです。
除雪などもちろんしない豪雪の山の中を歩いていたのです。
そうしないと生活が出来なかったそうです。
当時自分たちの生活で炭を使ったのは風呂を焚くときに、屑の炭を
使っただけで ご飯を炊くのは薪、部屋の暖房は囲炉裏に長くきった薪を
斜めに入れブスブスと煙をいぶしながら暖まったそうです。
食事ですが、米が不足していたので大根や山で拾った栗を米に入れて
焚いて食べたそうですが。
混ぜるので一番多かった食べ物はミズナだったということです。
しかし大家族で米が足りない家は、ミズを多くしたおかゆが食べられるか
食べられないかという生活でした。
炭を焼く生活が主でなくなったのは、昭和42年の水害ごだったそうです
水害後復旧作業のしごとがでて、多くの人たちがその工事に携わっていた
そうです。その頃から道路なども整備もされてきて、それまでの
不便な生活が変わって行ったようです。
おわり
今現在この中ノ沢は以前に比べ道路も整備され交通の便も良く
なりましたが一部まだ狭いところもありますが四季をつぅじて
自然を楽しむことが出来ます。
今ではこの集落も炭を焼いている人はいませんが当山荘では
冬季間炭を焼いています。
昔ほど大変な苦労はしていません、冬を楽しみながら焼いています。
尚冬季1月2月は予約のみで営業 3月より通常どおり営業いたします。
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