つづき、
炭を焼くのも大変ですが、その焼いた炭を売るのも一苦労でした。
終戦当時は 自由に売ることも出来ませんでした。炭を買い取る
問屋が決められておりその問屋にしか納めるしかありませんでした。
当時の値段で一級が一俵、150円でした。
しかしお金を貰っても、自由に物を買える時代ではありませんので、
ヤミで物と交換したこともあったそうです。 交換した物は、炭一俵
(30キロ とてぬぐいたった一枚。米一俵(60キロ)だと炭が11~14俵
でした。
しかし手ぬぐい一枚と炭一俵が同じ価格とは、今では信じられない
思いいです。当時は本当に物が無く混乱した時代だったことが
うかがいる話です。
近年は暖冬傾向にあるのか1m~1,5mほどの積雪にしかなりませんが、
昭和50年代位までは、4mを越える積雪の年がほとんどだったようです。
炭の問屋は三川では5軒あったそうで、この中ノ沢からは
おもに石戸地区と川口地区にあった問屋へ運んだそうです。問屋は
阿賀野川を船でくだり町の方へ輸送していたそうです。
驚くのは炭窯から問屋までの輸送方ですが、たまに材木を切り出す馬車
に乗せてもらうことがあったそうですが、ほとんど人力で炭を背中に
背負い歩いて運び出しました。
すみがまからなかのさわまで6~7キロ、さらに中ノ沢から問屋まで約7キロ
なので片道約14キロになります。それを一日2俵運ぶのです。
山道をただ歩くのでも大変なのに。2往復するのが大変なので窯から
途中まで2俵背負い、途中で1俵下ろし問屋へ行き又取りにくる人も
いたそうです。 つづく
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